産経新聞 中川晶の生き方セラピー 第4回 平成16年4月24日掲載*「何のために生きているの」

■相談

教えていただきたいのですが、人間て何のために生きているのですか。 こんなことをいうと怒られるかもしれませんが、昨年、私は大腸がんをわずらいました。幸い早期発見でした。もうすぐ一年たとうとしています。もし今、再発したと宣言されても真正面から受け止める自信はあります。自殺をしたいとか死にたいとか決して思わないのですが、生きている意味がわからないのです。ただ命があるので生かされている、という感覚です。何でもいいです。ヒントを教えていただければ。

                                              大阪府 独身OL(40)

■回答

 ウーム、うなってしまう難しい質問ですねえ。でもこの質問にはサンケイ新聞で長らく「人生応援団」を書いて来られた頼藤先生というぼくのお師匠さんに答えて欲しいものです。先生は著書の中でこんな風にお書きになってます。

「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。(中略)どうあがいてみたっって、逃れられない人生という檻のなかに我々は産み落とされてしまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、その檻の中で一舞いしてみせるしかないではないか」(「人みな骨になるならば」時事通信社より)

 頼藤先生は桁外れにすごい先生でした。その博識は古今東西、科学から宗教全般に及びました。いつも飄々としたお人柄には多くの人が感銘を受けました。その先生が大腸癌で51歳の若さで逝かれました。人生が何のためにあるのかぼくは知りませんが、いま生かされています。いつその人生が終わるとも知れず生かされています。そう、ひょっとしたら人生は檻なのかもしれません。その檻を忘れるために仕事、子育て、恋愛、宗教など、人々が生き甲斐とするものは存在するのかもしれませんよ。

 こんなこと書くと虚無主義みたいですけど、人がよく生き甲斐としてあげるものは壮大な時間潰しである可能性が高いのです。いつかはプツンと途切れる線路の上を檻を乗せた列車は走り続けます。しかも線路はいつ途切れるとも知れません。そんな不条理を抱えて人生をおくるのですから時間潰しをしないと怖くてやりきれません。

 ここまでは哲学者ニーチェも言ってるのですが、ここからが頼藤先生らしいのです。

「そんな檻に閉じこめられたからといって落ち込んでたって仕方ないぜ。どうせ出られない檻ならば、その中で一舞いしてみせようぞ」とくるのです。どんな舞いかは人によります。舞いが時間潰しであっても一向に問題はありません。舞いは瞬間の芸術ですから永遠には残りません。いや残らないからこそ潔いのかもしれません。

 ぼくも不器用ですがそろそろと舞ってみようと思います。あなたもご一緒にいかがですか?シャル・ウィ・ダンス?